ヒンドゥー教の神々

インドという国名が「ヒンドゥーの国」を意味することでも分かるように、ヒンドゥー教は宗教というより、インドそのものです。現在、インドの全 人口の82%を占めるヒンドゥー教は、紀元前1500年ごろにインドに侵入してきたアーリア人のバラモン教と、土着の信仰が結びついて発展しました。開祖 がいて、教義がある宗教ではなく、土着の神々を取り込んでいく過程で、つじつまを合わせるために、神々の結婚や化身が取り入れられ、いるのまにか八百万の 神の教義が存在することになってしまいました。他宗教の神も取り込んでしまうヒンドゥー教は実に寛容な宗教で、それぞれの神様を通して人は宇宙の聖なるも のとつながるという考え方を持っています。

ヴィシュヌ神

世界の維持、繁栄をつかさどる神で、温和で受動的な性質。熱心に信仰を捧げるものに対しては必ず恩恵をもたらします。4本の手にはほら貝、円盤、棍棒、刀を持っています。弓や蓮を手にすることもあります。聖鳥ガルーダに乗って飛翔します。

世界の救済のために10の化身になります。

①魚(大洪水から救う)
②亀(不死の霊薬をもたらし神々を救う)
③猪(その牙で沈んだ大地を持ち上げる)
④人獅子(恐るべき魔神を退治する)
⑤倭人(体を巨大化させ魔王を打倒する)
⑥斧を持つラーマ(武士階級を一掃する)
⑦ブッダ(誤った思想を説き魔人を地獄へ導く)
⑧カルキ(世界に正義をもたらす英雄)
⑨ラーマ(インドの国民的英雄)
⑩クリシュナ(怪力で武勇に優れ美貌の持ち主)


シヴァ神

再 創造のための破壊神です。過激で、能動的。恐ろしさと、粗暴さの象徴です。人間の姿をとるときは、4本の手を持ち、斧、太鼓、雌鹿、紐を持っています。武 器は三叉の鉾です。高く結い上げられた髪は左右に長く垂れ、両肩にかかり、頭には三日月が飾られ、首や胴の周りに蛇を巻きつけています。額の中心には第3 の目がついています。乗り物は白い雄牛(ナンディー)です。

宇宙の想像と破壊を表す舞踏を踊るとされ、南インドでは多くのブロンズ像が造られています。火炎輪を背に、毒蛇を首に巻き、魔物(アスラ)を踏みしめて、軽やかなステップを踏みます。さらに生殖の原理としても崇拝され、円筒型の男根(リンガ)の形で表されます。


ガネーシャ神

シヴァ神とパールヴァティー妃の間の子で、三日月や蛇というシヴァ譲りの持ち物を持つこともあります。小さなねずみが乗り物。

インド仏教

アマラーヴァティーのインド仏教

アマラーヴァティーはサータヴァーハナ朝(紀元前1世紀~3世紀)の後期に栄えた都市でした。東海岸の港に近いアマラーヴァティーはローマとの貿易で繁栄、インドから香辛料、綿織物、象牙、宝石などが輸出され、ローマの金貨が大量にインドに流れ込んできました。大商人たちはより良い死後の世界を願って功徳を積むために、ストゥーパを建てました。各地を旅した商人によってストゥーパ崇拝も広まりました。アマラーヴァティーのストゥーパは基壇部の直径が52mもあり、高さも40mを超えるものだったと推測され、当時のインドのストゥーパの中でも最大規模のものでした。三蔵法師で有名な玄宗も7世紀にアマラーヴァティーを訪れています。

初期の仏教美術はブッダを象徴で表しました。
仏足跡=ブッダ自身
法輪=布教
菩提樹=悟り
ストゥーパ=涅槃

アマラーヴァティー後期にはわずかですが、仏像も彫られています。規則的に平行に引かれた衣のひだと卵型の顔が特徴で、この様式は後にスリランカに伝わりました。

ガンダーラ美術(2~3世紀)

アレクサンダー大王が征服した地域には東西交流によって新たな文化が生まれました。西方の商人たちの中にはインドに気化し、仏教徒になった人もいます。パキスタン北東部のガンダーラの彫工はギリシア・ローマのように神々を人間の姿で表すことに慣れていたので、ブッダを西方の擬人像のようにギリシア風の容貌で表現した像が製作されるようになりました。特徴は、堀が深く、鼻筋が通っているアーリア系の顔です。流れるような衣と、髪の毛は波状です。

サールナートの仏像(5~6世紀)

インド北部のサールナートはブッダの最初の説法の地です。5世紀ごろグプタ王朝の時は仏教の中心地でした。仏像の特徴は、穏やかな表情。深く瞑想するように伏した目。下唇が厚く、長く垂れた耳たぶ。衣にひだを表さない。巻貝が並んでいるような髪。

インド各地で独自の特徴を生かした仏像が広まりました。仏像にはブッダが生まれながらにして備えていたとされる身体上の特徴(額の白い毛、髪の根本を結び束ねた髪型など)が32あります。7世紀以降、インドではヒンドゥー教やイスラム教などの圧迫で仏教は衰えます。現在インドでは、ブッダはヒンドゥーのヴィシュヌ神の化身のひとつであり、仏教はヒンドゥー教の一派とみなされています。